動物の霊を鎮め慰める“動物慰霊”とは?日本各地に伝わる祈りと感謝

のこと。マルシェ兵庫ペット医療センター
目次

はじめに|全国にある「動物のお墓」や「供養の場」

わたしたちの身のまわりには、昔からたくさんの動物たちがいて、暮らしを支えてくれたり、心を癒してくれたりしてきました。田畑を耕す馬や牛、狩りや見張りをしてくれる犬、蚕(かいこ)や蜂、そして今では家族のような存在になったペットたちも。

日本では、こうした動物たちに対して「ありがとう」の気持ちを伝えるために、お墓をつくったり、お祈りをしたり、慰霊碑を建てたりする文化が昔から根づいています。ときには村のお祭りになっていたり、神社やお寺に動物のための碑があったり。それは、外国にはあまり見られない文化で、「命あるものすべてに意味がある」という、日本独特のやさしい考え方に支えられてきたものです。

この記事では、そんな日本各地にある動物の慰霊文化を、やさしく・わかりやすくご紹介していきます。

【猫】恩返しで有名?「猫塚」のお話(東京・大阪など)

猫に関するお話は、日本各地にたくさん残っています。とくに有名なのが「恩返し」の伝説。昔の人々は、病気を治してくれたり、家を守ってくれたりした猫を「神さまのようにありがたい存在」と考えていました。

そんな猫たちに感謝の気持ちを伝えるために作られたのが「猫塚(ねこづか)」です。

たとえば東京の豪徳寺には、招き猫のモデルになったと言われる猫の供養塔があり、多くの人が手を合わせに訪れます。

大阪の西成区・松の木大明神には、三味線に使われた猫のための塚があります。

今では考えられない背景ですね。

【鯨】命をいただいた感謝を込めて(和歌山・山口・長崎など)

日本の海辺の町、とくに和歌山県や山口県、長崎県などでは、昔から「捕鯨(ほげい)」が盛んに行われてきました。クジラは肉だけでなく、油や骨、ひげなど、体のすべてが無駄なく使われてきた、まさに「恵みの命」だったのです。

でも、その命を奪うという行為に、ただの仕事以上の思いを重ねていたのが日本人の心。だからこそ、クジラに対して感謝と哀悼の気持ちをこめて、「鯨塚(くじらづか)」が各地に建てられました。

たとえば、和歌山県太地町には「鯨供養碑」があり、毎年「鯨供養祭」も行われています。

くじら供養碑(和歌山県大地町観光協会より)
くじら供養碑(和歌山県大地町観光協会より)

この鯨碑は1798年、品川沖の漁師たちに捉えられた鯨で、体調16.5mの大きなもの。東京では唯一。

利田神社【辨天社】鯨碑(東京都神社庁)
利田神社【辨天社】鯨碑(東京都神社庁)

鯨塚・鯨碑は全国にあり、例えば山口県長門市にある鯨塚には、200年以上にわたる鯨の胎児70素謡が埋葬されています。

青海島鯨墓(山口県長門市)ー長門市公式サイト
青海島鯨墓(山口県長門市)ー長門市公式サイト

「命をいただいたことに感謝し、供養する」。それは食文化の根本にある、日本人らしいやさしい祈りの姿かもしれません。

【犬】忠犬ハチ公だけじゃない!全国にある犬の慰霊碑

犬と人とのつながりは、とても古く、そして深いものです。番犬として家を守ったり、狩りや牧畜の手伝いをしたり、近年では盲導犬や警察犬として人を支える役目も担ってきました。

そんな中で、亡くなった犬たちを悼み、その働きに感謝するために建てられた「犬塚(いぬづか)」や「忠犬塚(ちゅうけんづか)」が、全国にいくつも存在しています。

有名な例が、東京・渋谷駅前にある忠犬ハチ公像。ご主人を待ち続けた忠義の姿は、今も多くの人の心に残っています。

また、静岡県の光前寺に伝わる「霊犬早太郎」など、民話の中で語り継がれてきた忠犬の物語も少なくありません。

霊犬早太郎伝説(静岡県光前寺)
霊犬早太郎伝説(静岡県光前寺)

警察犬・災害救助犬・麻薬探知犬など、実際に人の命を守る仕事をした犬たちの慰霊碑があり、関係者によって毎年慰霊祭が行われています。

麻薬探知犬の慰霊碑

犬は、単なるペット以上の存在。人とともに生き、尽くしてくれた命への敬意が、慰霊碑というかたちになって今に伝えられています。

【馬】農耕と運搬を支えた働き者(東北・北海道など)

人々の暮らしがまだ機械に頼っていなかった時代、馬はとても重要な働き手でした。田畑を耕したり、重い荷物を運んだり、ときには人を乗せて遠くまで移動したり。とくに東北地方や北海道のような広大な土地では、馬はなくてはならない存在でした。

そんな馬たちに感謝の気持ちを伝えるために、「馬塚(うまづか)」や「馬頭観音(ばとうかんのん)」と呼ばれる石碑が多く建てられました。馬頭観音は、仏教に登場する馬の守り神で、「馬の魂を慰める」と信じられています。

道端やお寺の境内、農村の片隅にひっそりと立っていることも多く、今でも地元の人がお花を供えたり、お参りしたりしている姿が見られます。

働いた馬たちは、ただの動物ではなく「家族」であり「仲間」。その命に「ありがとう」と祈る文化が、今も静かに息づいています。

【牛】田んぼも畑も一緒にがんばった牛たち(東北・北陸など)

牛もまた、かつての農村では欠かせない働き手でした。特に水田の多い東北や北陸地方では、田んぼを耕す「耕牛(こうぎゅう)」として活躍し、重い農具を引きながら、農作業を支えてくれました。

牛は力が強く、性格もおだやか。長い年月をともに過ごすうちに、まるで家族のような存在になっていったといわれています。

そんな牛たちに感謝の気持ちを込めて、「牛塚(うしづか)」や「牛頭観音(ごずかんのん)」などの慰霊碑が各地に建てられてきました。田んぼのあぜ道や神社の境内に、そっと佇むその姿は、地域の人々のあたたかな思いを今も伝えてくれます。

また、石川県では「石浦神社」で毎年11月に「牛供養祭」が行われています。

命を支え、共に生きた動物たちを大切にする文化は、時代が変わっても受け継がれています。

【その他の動物・生き物たち】

豚観世音、鶏、イノシシ、鳥獣魚、鹿などの供養塔もありますね。

【魚】食や研究でお世話になった魚にも感謝の気持ちを

【鵜(う)】岐阜・長良川の「うかい」と鵜塚

岐阜県を流れる長良川では、千年以上の歴史をもつ伝統漁法「鵜飼(うかい)」が今も続いています。鵜飼では、鵜(う)という水鳥を使って鮎(あゆ)などの川魚をとる独特な漁が行われます。

この鵜たちは、「鵜匠(うしょう)」と呼ばれる漁師さんたちと一緒に暮らし、漁の大切なパートナーとして活躍してきました。

そんな鵜たちに感謝し、その命をねぎらうために建てられたのが「鵜塚(うづか)」です。長良川周辺には、鵜のための慰霊碑が点在しており、鵜匠たちは亡くなった鵜を一羽ずつ丁寧に弔い、塚の前で祈りを捧げています。

現代でも、岐阜市では毎年鵜飼終了後の日曜日に鵜供養を行っています。

ただの“道具”ではなく、“いのちある仲間”として大切にされている——それが、日本の伝統文化に息づく、鵜との関係なのです。

【象や動物園の仲間たち】人を楽しませてくれた動物たちの碑

全国の動物園には、ひっそりと「動物慰霊碑(どうぶついれいひ)」が建てられていることがあります。これは、展示や教育活動のために活躍し、亡くなっていった動物たちを供養するためのものです。

たとえば、上野動物園(東京都)には「動物慰霊碑」があります。毎年9月には職員や関係者によって慰霊祭が開かれています。そこでは、象やライオン、ゴリラ、ペンギンなど、さまざまな動物たちの名前が読み上げられ、感謝と祈りが捧げられます。

特に象は、人々に親しまれ、記憶に残る存在として語り継がれることが多く、慰霊碑に象の像が添えられている園も少なくありません。

動物たちは、子どもたちに命の大切さや多様性を教えてくれる大切な存在。だからこそ、命が尽きたあとも「ありがとう」「おつかれさま」の気持ちを伝える場が設けられているのです。

それは、展示するだけではない、動物園のやさしいまなざしを感じられる一面かもしれません。

【実験動物】科学発展の陰の存在に祈りを(大学・研究機関)

医学や薬学、生命科学の研究において、多くの実験動物たちが重要な役割を果たしてきました。

多くの大学では、実験動物慰霊碑が構内にあり、毎年慰霊式も行われます。研究者たちが白衣のまま献花や黙祷を行い、命への敬意を込めて「ありがとう」を伝えるその光景は、静かでありながらとても印象的です。

マウスやラット、ウサギ、カエル、魚類、霊長類など、さまざまな動物たちが、人間の健康や命を守る研究のために使われてきたのです。

しかしその一方で、「その命があったからこそ、科学が進んだ」という意識も日本では強く、大学や研究機関には、実験動物のための慰霊碑が多く建てられています。

「科学の進歩の裏には、小さな命があった」
その事実を忘れず、敬意と感謝の気持ちをもって向き合おうとする姿勢が、日本の実験動物慰霊文化には息づいています。

【昆虫や蚕・蜂】人の暮らしを支えた小さな命への祈り(養蚕・養蜂)

日本では、古くから昆虫たちも人の暮らしに欠かせない存在でした。とくに蚕(かいこ)は、絹をつくるために飼育され、多くの家庭や地域を支えてきました。

明治から昭和にかけては「養蚕」が大きな産業であり、各地に蚕を供養する碑やお堂が残されています。

また、蜂も同じように、人間と深く関わってきた昆虫です。蜂蜜やローヤルゼリーを採る養蜂だけでなく、農業に欠かせない受粉の働き手としても重要でした。そのため、養蜂家たちが蜂を供養する習慣もあり、各地に「蜂魂碑(ほうこんひ)」が建てられています。

オケラ供養塔

栃木県那須町には「オケラ供養塔」が実在します。これは江戸時代、将軍の鷹狩用の鷹の“生き餌”として大量にオケラ(螻蛄)が農民に採集され、多くの命が失われたことを悼んで建てられたものです。

この「オケラ供養塔」は、人為的に命を奪われた小さな昆虫にも感謝と慰霊の気持ちを表す、日本らしい生命観や供養文化の象徴的な事例として知られています

こうした昆虫たちは、人にとって「とても小さい存在」でありながら、日々の生活や産業に大きな恵みをもたらしてくれました。お盆や慰霊祭では、「小さな命がどれほど人を支えてきたか」を思い出し、感謝を込めて祈りが捧げられているのです。

【戦争と動物】慰霊の対象となった戦時中の動物たち

お盆や慰霊の話になると、戦争で犠牲になった動物たちの存在も忘れてはなりません。戦時中、日本では軍馬や軍犬、伝書鳩などが戦地に送られ、人間と同じように命を落としました。戦場で倒れた馬や犬、任務を果たして帰らなかった鳩の姿は、兵士たちにとっても深い記憶として残ったといいます。

戦後、日本各地には「動物慰霊碑」が建てられました。そこには「動物たちもまた戦争の犠牲者である」という強い思いが込められているのです。

お盆の時期には、こうした慰霊碑の前で法要が営まれることもあります。人だけでなく、共に戦い、共に苦しんだ動物たちに祈りを捧げる姿は、「人と動物の絆」がどれほど深いかを物語っています。

【現代に受け継がれる祈り】動物慰霊祭と日常の供養

現代のお盆や慰霊の場面でも、動物への祈りはしっかりと受け継がれています。ペット霊園や動物霊堂では、毎年お盆の時期に「動物慰霊祭」が開かれ、犬や猫をはじめとする家族同然のペットに手を合わせる人々が集まります。

また、動物園や牧場でも、園や施設で過ごした動物たちに感謝を込めた慰霊祭が行われています。象やキリン、牛や馬など、大型の動物にも「ありがとう」と祈りを捧げる光景はとても印象的です。

こちらは令和6年に亡くなったわたしの愛猫です。月命日には花束を、日々の生活ではお水とフードを置いています。

さらに個人の暮らしの中でも、お盆にペットの写真を飾ったり、お花やおやつをお供えしたりする家庭が増えています。こうした日常的な供養は「大切な命とつながり続けたい」という思いの表れでもあります。

動物たちの魂に寄り添う祈りは、かつての戦争や伝統行事に限らず、現代社会でも変わらず続いているのです。

【まとめ】お盆と動物たちをつなぐ祈りの心

お盆は、人と人だけでなく、人と動物をもつなぐ大切な時間です。
戦争で犠牲になった軍用犬や軍馬、自然の恵みをくれた魚や鳥、そして一緒に暮らしたペットたち。私たちは、お盆を通してその命を思い出し、「ありがとう」という気持ちを新たにします。

動物にまつわる慰霊や供養の習慣は、時代や地域によって形を変えながらも、共通して「命への感謝」を伝えています。送り火や供養祭といった行事は、その象徴的な瞬間でもあります。

お盆に手を合わせるとき、そばにいた動物たちの姿を思い浮かべてみませんか。
その祈りは、過去から未来へとつながる「いのちの橋渡し」になるはずです。

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この記事の執筆者 / 監修者

らみえる
らみえる
動物専門・ペット特化のWebライター・ディレクター・デザイナー。慶應義塾大学環境情報学部を卒業後、大手企業で広報や編集校正の仕事を経て、猫専門ペットホテル猫専門ペットホテル・キャッツカールトン横浜代表、動物取扱責任者、愛玩動物飼養管理士。
幼少期から犬やリス、うさぎ、鳥、金魚など、さまざまな動物と共に過ごし、現在は4匹の猫たちと暮らしています。デザインと言葉で動物の魅力を発信し、保護活動にもつなげていきたいと思っています。
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